「未来は決まっており、自分の意思など存在しない。心理学的決定論」
妹尾 武治 著

「この世は全て事前に確定しており、自分の意思は幻影だ。」という心理学的決定論(妹尾氏の仮説)が書かれた本です。いわゆる「トンデモ系」と言われる信じがたい、とんでもない内容の本ですので、注意してお読みください。
著者も事前にすべての事は決まっているからといって、「人生が輝かないわけではないし、一生懸命に生きる事はやはり美しいし、楽しい。この事はくれぐれも誤解なきようにお願いしたい。」と述べています。

私にとっては「考えとして楽しい、こんな考え方もあるのかと言う」一冊でしたし、最近の私自身の学びとも妙に繋がるところ多く、出会うべきして出会ったような一冊でした。

【珠玉の一文】
「我々に、自由意志があると言う錯覚が与えられているのも神の意思なのかもしれない。神は、我々が操り人形であることを、自由意志の幻想を与えることで、巧みに隠しているのかもしれない。自由意志とは、神が仕組んだ「罠」なのだ。」

★以下、心に残った点を抜粋。

・意思は幻影であり、行動をコントロールできるような力は無いのだ。外界から得られる刺激に対して、意思で抗うことはできず、自動的に身体が反応してしまうのである。

・すべての行動は意志で決まるのではなく、環境との相互作用の必然的な帰結として決まっている。我々は自主的に生きるのではなく、環境からの作用によって「生かされている」のだ。

・ハードプロブレムとは具体的には、「私とは何か?」、「モノから心が生まれるのはなぜか?」、「意識とは何か?」といった問いである。

・私にとっての赤は、他の人の赤と同じだろうか?自分自身にしか味わえない、赤の赤さがある。この自分自身にしかアクセスできない感覚の質感のことを、クオリアと呼ぶ。

・映画視聴中に提示される数ミリ秒の「コーラを飲め」と言うサブリミナルのメッセージが実際に売り上げを数十%も変えることがない事は既にわかっている。

・無自覚というのがポイントで、我々も無自覚な神様なのではないだろうか?この無自覚を自覚に変換してみては?と言う考え方が仏教にある。仏教では古くからこの世とは自分自身の意識でしかないと言う考え方、すなわち「唯識」と言う考えが存在する。

・世界とは結局のところ、自分自身の脳が作ったものでしかない。であるならば、世界とは自分であり、自分こそが神でありすべてなのだ。この思想に徹したのが「唯識」である。
・まんが日本昔ばなしの「正直、庄作の婿入り」、結局幸せかどうかは脳が決めるということである。
・ブッダは「快楽の追求は実は苦しみのもと」であると繰り返し主張している。
・私は意識とは結局のところ情報であると考えている。

・我々のすべての行動、つまり「人生」は映写機の中のスライドのように事前にセットされており、それが1枚ずつスクリーンに映されているだけなのだ。

・非風非幡と言う禅問答(考え方)がある。あるお坊さんが風にはためくのぼりを見て、「のぼりが動いている」と言った。別のお坊さんは「いや、動いているのは風だ」と言った。また別の坊さんが「動いているのはのぼりや風ではなく、あなたの心の方だ」と言った。世界とは私の心のことなのだと。

・対面するもう一つの電車が動き始めると、「あれ!自分の電車が動いた」と感じる。この錯覚的な自己移動感覚がベクションである。

・意識とは情報であり、生命とはその情報を増やすために配置された「なにがしか」(存在)である。

・「人はいつ死ぬと思う?」「人に忘れられた時さ。」漫画ワンピースより。命の本質とはやはり情報なのだと言えるだろう。

・21世紀の新しい人類の価値観として「意識とは情報の変動に過ぎず、自然法則に従う。自由意志はなく、すべての情報の変動(つまり行動)は、環境との相互作用によって事前に決まっていることである。」

・我々の自由意志とは錯覚であり、幻想である我々の行動は全て事前に決まっている。環境と自己との相互作用による必然的な帰結が我々の行動なのである。脳が必然的に我々の行動を縛るのである。