私の名前は髙野 竜馬と申します。仕事は2割増しの人生を演出するファイナンシャルプランナーという仕事をしています。
私は昭和41年、連載小説「竜馬がゆく」が完成した年に生まれてきましたので、坂本竜馬にあやかって「りゅうま」と名づけてもらいました。

さて、昭和41年という年は、干支で言うと午年、それもただの午年ではなく丙午っていう干支です。
女の子が生まれたら、男を食いつぶすといわれ、縁起が悪いという迷信があったものですから、昭和40年代でもっとも出生率が低い年です。
ちなみに私の同級生は全国で136万人。その前後は180万から190万人生まれていた時代でししたから
なんと3割近くも少なかったのです。

つまりそれくらい迷信が信じられていたわけです。

そんな縁起の悪い年に子どもを作ろうという親は2パターンしかありません。

愛しすぎて、迷信なんか信じないという両親、もしくはただの無謀な二人だったのかのどちらかです。
確認したことはありませんが、我が家の場合は無謀な二人だったのだろうと思っています(笑)

さてそんな不吉な干支に生まれた私でも、とても可愛がってくれる親族がいました。
ひとりは父方のばあちゃんです。ばあちゃんはとは別居していましたが3~4歳のころは良く遊んでもらっていました。
私はばあちちゃんに褒めてもらうのが嬉しく、いつもお絵かきをしていました。
そして出来上がった絵を見せると、いつもばあちゃんは

「お前は賢い子やね~末は博士か大臣やね」

といってくれました。ばあちゃんのホメ言葉は当時から死語で、親族がそれを聞くといつもクスクス笑っていました。
僕は博士や大臣が何をする人なのかわかりませんでしたが、ばあちゃんがとっても良いことを言ってくれているのは、わかっていました。

残念なことに博士や大臣になれるほど勉強は出来ませんでしたけれど
勉強することは今も好きで、そのように育ててくれた両親やばあちゃんには心の底から感謝しています。

「なんでも教えます!」

そんなカッコいいことは言えませんが
お客様と共に学びながら2割増しの人生を演出いたします。